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 私自身、一般質問をする機会から随分遠ざかっていましたが、新議会ということで、本日は「国旗」について質問させて頂きます。
 さて、昨年のことですが、学校のポールを見ると半旗(弔旗)なのか、ロープがゆるんで少し下がったのか、よくわからなかったので、次の学校を見に行きますとはっきりとわかる半旗(弔旗)になっていました。後で聞いてみると皇族の方が亡くなられたと云うことでした。
 この件については何故か対応した所と対応出来なかった所がありました。各学校に伝達が徹底されていなかったようです。
 また、役所内での事ですが、各課で行事がある場合国旗を提揚してはいるのですが、国旗と市旗が反対だったり、掲揚方法が間違っているのを幾度が見掛けた事がありました。


 また、アメリカレイクランド市に中学生・高校生が訪問する結団式の席で、私は皆様に、アメリカでは国旗掲揚のセレモニーが始まれば、その場で身をただし、私語を慎みアメリカ国旗に敬意を表してくださいとお願いをした事がありました。
 たまにですが、国旗掲揚や国家斉唱の際、座ったままとか、談笑したりしている光景が見られます。
こういう場合はマナーとして、座ってる時は起立し、歩いている時は、帽子を脱ぐとか、ものを食べたり、ポケットに手を入れたりしないよう、最低のマナーを守ってほしいと思います。
 アメリカでは、「国旗が掲揚され、国歌が演奏される時は、その場にいる全ての人は国旗に向かって起立し、右手も胸に添えて直立不動の姿勢をとらなければならいない」とされています。
国際社会において、私達一人一人が国際的に常識とされる国旗・国歌についての知識やマナーを身につける事が求めらるのではないかと思われます。

 ところで少し「日の丸」の由来について述べさせて頂きます。
 源平の屋島の合戦において、那須与一が弓で射落とした扇に描かれていたのが、「金地に赤の日の丸」であったと「源平盛衰記」に記録されています。
 南北朝時代の「太平記」には、後醍醐天皇が配下の武将に賜った日の丸の旗が奈良県吉野郡賀名生 
(あのう)の掘家に、日本古来といわれる日の丸の旗が現在でも所蔵されています。
戦国時代に入ると、武将たちは「日の丸」の紋様を好んで、旗や軍配・軍扇に用いるようになり、上杉謙信・武田信玄また、仙台伊達家には、「白地に朱色の日の丸」の大旗が残っています。南蛮船や御朱印船にも、「日の丸」印の旗が使用されています。
幕末期に入り、薩摩藩主 島津斉杉が、現在のような日の丸の旗の原案を作り、水戸藩の徳川斉昭の援助を得て、安政元年(1854年)日本の総船印として、幕府から各大名に布告をしたのが、日の丸の旗の初めであります。

万廷元年(1860年)船尾マストに「日の丸」を掲げた咸臨丸が太平洋を渡り、アメリカの地で初めて日本の国旗日の丸を掲げました。この時の使節団は、日の丸の旗をアメリカ側に贈り、アメリカをこれにこたえて星条旗を贈って、国際親善の意を表したといいます。
更に、文久2年(1862年)1月20日小笠原の父島に我が国の国土領有を表すものとして、日の丸の旗を掲げています。

ちょっと、おもしろいコラムも見つけたので、読ませて頂きます。
文化人類学者 安藤真氏の『「日の丸」の起源は日高見国
(ひだかみのくに)か』です。
先日、不思議な絵巻物を見る機会がありました。それは、大和朝廷の軍勢と古代東北の住民、蝦夷の戦闘シーンでありました。ただ、注目すべき事が1点ありまして、それは、蝦夷の軍船に描かれていた10個の日の丸。一体これは何を意味しているのであろう。近畿に政権を樹立した天皇側ではなく、東北の先住民蝦夷の国のシンボルとして、「日の丸」が記されていると考えられないであろうか。

「清水寺(せいすいじ)縁起絵巻」は大和絵中興の祖といわれている土佐光信(1434-1525)によって坂上田村麻呂軍に打ち破られる蝦夷軍の戦いが描かれていました。
この絵巻の目的のひとるは、天皇政府の「蝦夷征伐」を美化し正当化することであろう。戦闘の場面は8世紀の末であり、描かれていたのは16世紀の初頭でありました。この時代にあっては、「日の丸」が天皇政府側にとってさほど重要な意味を持っていなかったのかもしれません。
絵師は素直な気持ちで当時の「常識」を絵巻の上にしるしたのではないでしょうか。

ところで、7世紀頃まで、列島の西半分に「倭」とい国があり、東の地域に「日高見国」があったことが研究されています。この「日高見国」こそが、坂上田村麻呂によって滅ぼされた蝦夷の国であった。
「東の夷(ひな)の中に「日高見国」あり・・・・是を総べて蝦夷と日ふ。また土地沃えて広し。撃ちて取りつべし」
                                                     (日本書記)
東北大学の名誉教授、高橋富雄氏はこの「日高見国」の別弥が「日の丸」で、その「日の丸」の漢字表記が「日本」だと述べておられました。「日高見国」は、「日本」であり、その「日本」は東日本にあったことになります。
どうやら、7世紀まで、この列島に「倭」と「日本」という国が並立していたことになります。
7世紀は激動の時代で「白村江の戦い」(663年)に大敗し、朝鮮半島へのルートを閉ざされていた大和政府は、この列島の東北経営に狂奔していました。
そのために、一番有効な政策は、「日高見国」(日の本)を征服して、その国号を横奪して自らが「日本」を名乗りこの列島の主権者であることを宣言することであったかもしれない。
 そして、明治・大正・昭和・平成となり、長年にわたり国民の間に慣習として定着していた「日の丸」を国旗とし、「君が代」を国家とする国旗・国家法案が、平成11年8月13日から公布施行されたのでございます。
さて、、学校において国旗をどのように対応し、教えているのかお聞かせ下さい。
また、少しでも国旗掲揚の間違いをなくすためにも、国旗掲揚マニュアルを作成しておいてはいかがでしょうか。

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